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重要なお知らせ

2024年11月7日
システムメンテナンスのお知らせ
わかやまけん くしもとちょう
和歌山県 串本町

ご好評につき終了しました

本マグロ 中とろ 400gサク 「プレミア和歌山認定」 和歌山県でも指折りの好漁場で養殖された本鮪! 南紀串本よしだ本鮪-[mhs101]

寄附金額
24,000

イオンマークのカードでWAON POINT基本の10倍!

数量
24,000
数量

返礼品の特徴

和歌山県でも指折りの好漁場で養殖された本まぐろ中トロ。程よい脂が美味いんです!
ラムサール条約にも指定されている黒潮の海流域でもあることから、本まぐろ養殖場では浅海にも関わらず、「潮溜まりが無い」という最南端の地形を活かし、生産者としてこだわりを持った独自の生産方法で自信を持って生産しています。

「丸八水産のこだわり」
本鮪(まぐろ)の稚魚を仕入れてから出荷するまでに、丸八水産では2年半〜の月日を要します。この間、本鮪がすくすく成長できるよう全ての作業工程においてストレスを与えないような工夫をして育てています。

が、本鮪の水揚げ、及びその後の保管は、特に注意が必要で、この工程の良し悪しで本鮪の身質が大きく変わります。丸八水産では特にこの工程の技術開発に注力することで、安定的な品質を保ち本鮪を出荷することを可能としました。

生簀から本鮪を1本1本釣り上げることで水揚げしますが、この時に釣針などを嫌い本鮪が生簀の中で暴れてしまいます。すると体温が急上昇し、高い頻度でいわゆる身焼けをおこします。身焼けした本鮪の身は酸っぱくなってしまい、本鮪本来の味を楽しむことができません。
これを防ぐために、水揚げに電気ショックを利用します。水揚げに使用する釣針に電気を通し、瞬時に本鮪を仮死状態にすることで、体温の急上昇からくる身焼けを防ぎます。

そして、水揚げし、神経抜き・脱血、いわゆる活け締め処理を直ちに施します。こうすることで死後硬直が遅延し鮮度を長く保てます。
本鮪が釣針付きのエサを食べる→電気ショック→水揚げ→活け締め。この各工程をタイムラグ無く流れるように処理します。

ここまでは割とスタンダードな技術なんです。が、丸八水産は、水揚げ後の保管時の温度管理が特有です。
出荷先からのフィードバックを受け色々と試行錯誤した結果、この温度管理を工夫することで、更に身質を良い状態で保つことができるということが経験則的に分かりました。

本商品は、ストレスを抑え育て上げた"南紀串本よしだ本鮪"を、試行錯誤の末に習得した温度管理にて数日保管し、柵取りしたものをプロトン凍結しお届けします。
飼育法・絞め方・体温管理・水温管理・出荷方法など丸八水産独自のノウハウで丁寧に育てあげたこだわりのマグロを是非ご賞味ください!

返礼品の詳細

配送
冷凍
配送注記
1週間以内に発送

※事前にお申し出がなく、長期不在等によりお礼の品をお受取りできなかった場合、再発送はできません。あらかじめご了承くださいませ。
内容量
中とろ サク400g
返礼品注記
賞味期限:配送日より冷凍保存で7日間

寄附に関する注意事項

【重要】ヤマト運輸の転送サービス有料化について

■2023年6月より、ヤマト運輸の転送サービスが有料となりました。
謝礼品出荷後に配送先を変更される場合は、贈答用の場合でも配送先の受取人様に着払いで転送料をご負担いただく事になりますので、ご注意ください。

串本町 ふるさと納税についてのお問い合わせ

串本町 串本町ふるさと納税係(委託業者:株式会社じゃばらいず北山)
〒649-3592 和歌山県東牟婁郡串本町サンゴ台690番地5
9:00~17:00(土日祝日休み)
TEL:0120-773-775

メールでのお問合せ
furusato@kushimototown.net

この自治体について

和歌山県串本町

わかやまけん くしもとちょう和歌山県 串本町

ー串本町とトルコの友好関係ー

明治23年
日本から帰国途中のオスマン・トルコ帝国の親善大使600名以上が乗船していた船、
エルトゥールル号が台風のため串本町沖で座礁するという事故がありました。

この事故は日本で最大規模の海難事故として知られています。
事故の際に救助を行ったのが串本の大島の住民でした。
住民たちの懸命な救助活動により、翌年には生存した69名が帰国することが出来ました。

昭和60年
イラン・イラク戦争が行われていた当時、
出国しようとしていた200名以上の日本人が満席のためイランの空港に残されてしまいました。
安全が確保できないと日本からの救援も来ない中、助けてくれたのがトルコ共和国でした。

2機の救援機がトルコから救援に訪れ、残された日本人を日本まで送り届けたのです。
イランには、トルコ人も多く在住していましたが優先的に日本人を航空機に搭乗させ、
自分たちトルコ人は1週間をかけ、陸路で帰国しました。

トルコではエルトゥールル号の出来事がずっと語り継がれており、約100年後にその恩返しとして日本人を救ったのです。
その後もお互いに支援しあい友好関係が続いています。

慰霊碑の設立や、トルコとの共同映画製作によってトルコと串本町の友好関係は後世に伝えられています。