返礼品の特徴
少しでも安心して頂けるよう、農薬も控えめで栽培しております。
南高梅は、皮が薄く、種が小さく、果肉がやわらかいのが特徴です。
梅干し、梅酒、梅シロップ、ジャムなど、お好みに応じてご利用下さい。
梅干しの場合、黄色く追熟されている方がやわらかくておいしいです。
梅酒、梅シロップ、ジャムなどは青色、黄色のどちらでもOKです。
※到着後、すぐに加工しない場合は、必ず、冷蔵保管下さい。
※賞味期限が短い為、使用用途に応じて、お早い目の加工をお願い致します。
※追熟する場合は、ビニールに入れて冷蔵保管するのがベストです。梅の状態によりますが、1日〜3日程度
※冷凍保管も可能です。
※箱詰め時には、基本的には、青い梅をお入れしておりますが、温度帯や輸送日数などの関係で追熟がすすみ、到着までの間に梅が黄みがかることがございますので、あらかじめ、ご了承下さい。
ただし、黄みがかっておりましても、果皮の色には関係なく梅酒、梅干などどちらにもご使用頂けますので、ご安心下さい。
梅干しは、青梅の状態よりは、むしろ、黄色く追熟されている方がやわらかい梅干しができます。
梅酒、梅シロップの場合は、青色はさっぱり系、黄色はまろやか系なお味となります。
※収穫時期が例年にない高温の場合は、成熟が早い為、青梅を箱詰めできない場合がございます。自然の事ゆえ、ご理解お願いします。
※水分が蒸発して、お届けまで重量が目減りする場合がございますので、あらかじめ。ご了承下さい。
※手選別となりますので、多少の傷などが入る可能性はございますので、ご理解下さい。選別は、JA基準に基づきます。
※サイズはMサイズ(2.8cm〜3cm)、Lサイズ(3cm〜3.4cm)、2Lサイズ(3.4cm〜3.8cm)の混合またはおまかせとなります。サイズはお選び頂けません。
※画像はイメージです。"
こちらの返礼品は紀美野町との共通返礼品となります。
【平成31年総務省告示第179号第5条第8号イ「市区町村が近隣の他の市区町村と共同で前各号いずれかに該当するものを共通の返礼品等とするもの」に該当する返礼品として、和歌山県内で合意した市町村間で出品しているものです。
返礼品の詳細
- 配送
- 常温
- 配送注記
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2025年6月上旬から6月下旬頃順次発送
※誠に申し訳ございませんが、北海道・沖縄・離島へのお礼品の配送はお受けできません。
※事前にお申し出がなく、長期不在等によりお礼の品をお受取りできなかった場合、再発送はできません。あらかじめご了承くださいませ。
※気候の影響で、発送時期が多少前後することがございます。
出荷の際検品後発送しておりますが、万一商品に問題がございましたら破棄やお召し上がりになる前にご連絡ください。
※到着予定日から、3日以上経過したものや、破棄されたものにつきましては、ご対応することが出来ませんのであらかじめご了承ください。 - 内容量
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1箱約3kg(M〜2Lサイズ混合)
- 返礼品注記
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賞味期限:4日
※到着後、すぐに加工しない場合は、必ず、冷蔵保管下さい。
※冷凍保管も可能です。
寄附に関する注意事項
■2023年6月より、ヤマト運輸の転送サービスが有料となりました。
謝礼品出荷後に配送先を変更される場合は、贈答用の場合でも配送先の受取人様に着払いで転送料をご負担いただく事になりますので、ご注意ください。
串本町 ふるさと納税についてのお問い合わせ
〒649-3592 和歌山県東牟婁郡串本町サンゴ台690番地5
9:00~17:00(土日祝日休み)
TEL:0120-773-775
メールでのお問合せ
furusato@kushimototown.net
この自治体について

わかやまけん くしもとちょう和歌山県 串本町
ー串本町とトルコの友好関係ー
明治23年
日本から帰国途中のオスマン・トルコ帝国の親善大使600名以上が乗船していた船、
エルトゥールル号が台風のため串本町沖で座礁するという事故がありました。
この事故は日本で最大規模の海難事故として知られています。
事故の際に救助を行ったのが串本の大島の住民でした。
住民たちの懸命な救助活動により、翌年には生存した69名が帰国することが出来ました。
昭和60年
イラン・イラク戦争が行われていた当時、
出国しようとしていた200名以上の日本人が満席のためイランの空港に残されてしまいました。
安全が確保できないと日本からの救援も来ない中、助けてくれたのがトルコ共和国でした。
2機の救援機がトルコから救援に訪れ、残された日本人を日本まで送り届けたのです。
イランには、トルコ人も多く在住していましたが優先的に日本人を航空機に搭乗させ、
自分たちトルコ人は1週間をかけ、陸路で帰国しました。
トルコではエルトゥールル号の出来事がずっと語り継がれており、約100年後にその恩返しとして日本人を救ったのです。
その後もお互いに支援しあい友好関係が続いています。
慰霊碑の設立や、トルコとの共同映画製作によってトルコと串本町の友好関係は後世に伝えられています。