奈良県
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ならけん さくらいし奈良県 桜井市
桜井市は、古代国家へと発展する「ヤマト王権」成立の地であり、「日本書紀」や「古事記」、「万葉集」に数多く登場します。古代の英雄ヤマトタケルノミコトが詠まれた「大和は国のまほろば たたなづく青がき 山ごもれる大和し美し」とは、三輪山の麓、桜井市のことです。
市内には、卑弥呼の宮殿跡とも目される「纒向遺跡」をはじめ、日本最古の道「山の辺の道」、日本最古の神社「大神神社」、花の御寺として有名な真言宗豊山派の総本山「長谷寺」等があります。さらに、野見宿禰と当麻蹴速が天覧相撲を行った相撲発祥の地である「相撲神社」、聖徳太子が子ども達に伎楽舞を習わせたと伝わる芸能発祥の地「土舞台」、「仏教伝来の地」、「競馬発祥の地」等、様々な文化の発祥・はじまりの地とされています。
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ならけん しもきたやまむら奈良県 下北山村
下北山村は奈良県の最南部に位置する人口800人ほどの小さな村です。
四方を山に囲まれ、西には1300年の歴史を持つ世界遺産「大峯奥駈道」があり、その心臓部ともいえる前鬼エリアは修験道の聖地です。
また村の約半分は「吉野熊野国立公園」に指定されており、豊かな大自然が魅力の村です。 -
ならけん ならし奈良県 奈良市
1300年の古都 奈良市
8つの資産で構成される世界文化遺産「古都奈良の文化財」をはじめ、国際文化観光都市の名にふさわしい歴史的文化財の宝庫、奈良市。近年は町家などを活用した個性的な店舗が増え、爆発的ヒットアニメの「聖地」としても注目を浴びるほか、0~14歳の転入超過数では関西1位、全国で12位(2022年)と、1300年の古都奈良はこれからも歴史と伝統を生かしたまちづくりをすすめます。 -
ならけん おうじちょう奈良県 王寺町
王寺町は、金剛・葛城山脈と信貴・生駒山脈との接点にあたり、大和文化の源流として古くから注目されていました。明治以来、大阪と奈良を結ぶ鉄道の町、交通の要衝として発展し、近年は、大阪のベッドタウンとして、奈良の西の玄関口として、自然と都市の調和を備えた魅力ある町です。
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ならけん やまぞえむら奈良県 山添村
"山添村(やまぞえむら)は、奈良県の北東端、緑の茶畑が広がる大和高原と呼ばれる地域にあります。大阪圏から約1時間、名古屋圏からも1時間半程度と、都市部からも気軽に遊びに来ていただける、ちょうどいい「イナカ」です。
村のシンボル「神野山(こうのやま)」は、山つつじの群生と星空観測の名所として知られているほか、山の北側斜面に広がる「めえめえ牧場」では約60頭の羊を放牧しており、週末には家族連れや癒しを求める人々でにぎわいます。
また、山添村には、巨石や巨岩がたくさんあり、それらの一部は古代人の信仰の対象、あるいは祭祀の場所であったと見られ、イラクラと呼ばれています。神野山の中腹には、黒い岩が川のようになった奇景「鍋倉渓(なべくらけい)」があり、「天狗が争って投げた岩のあと」との伝説のほか、古代人が夜空の天の川を岩で表したのではという見方もあります。 -
ならけん あすかむら奈良県 明日香村
奈良県明日香村とその周辺は、飛鳥時代と呼ばれる6世紀末から8世紀初にかけての約100年間、一時期を除いて都が営まれ、日本の古代国家体制が形成された地域です。大阪府、京都府といった都市圏からも鉄道や自家用車で1時間程度でお越しいただくことができます。
村内には「大化の改新」の舞台となった宮跡、極彩色の古墳壁画を誇る高松塚古墳やキトラ古墳などの文化遺産が数多く存在し、万葉集にも詠われた自然環境と一体となって歴史的風土を形成しています。
昭和55年には明日香村における歴史的風土の保存及び生活環境の整備等に関する特別措置法(通称、明日香法)が制定され、国の特別立法で保全された他に類を見ない地域となっています。 -
ならけん かしばし奈良県 香芝市
「笑顔をもっと 元気をずっと ~誰もが輝く多彩なまち カラフルかしば~」
香芝市は、奈良県の北西部にあり、大阪府に接しています。
京阪神地域へのアクセスが抜群で、大阪市内へは最短で約20分という至便なところに位置しています。
一方で、古くは万葉集にも詠まれた二上山の裾野に広がり、自然豊かな風景と深い歴史が魅力でありながら、地場産業と新たな産業が共存しているなど、さまざまな表情を持つまちでもあります。
また、子育て世代が多いのも特徴で、子どもの笑顔と元気がまちにあふれ、みんなが多彩に輝き、みんなが香芝を好きになる―そんなまちをめざしています。 -
ならけん みやけちょう奈良県 三宅町
奈良県三宅町は、全国で2番目に小さいまち。
奈良公園にもスッポリとおさまってしまう大きさです。
そんな小さな小さなまちですが、
町民と共に産業発展を目指し歩んできました。
特に野球グローブは、大正から最盛期の昭和にわたって
約100軒もの業者が連なるほど、野球普及と共に多くの職人が、
互いに腕に磨きをかけてきました。
その技術は受け継がれ、今日も野球大国日本を支え続けています。
万葉集に歌われた唯一の花である
「あざさ」が咲き誇り、
聖徳太子が通われたという伝承からなる
「太子道」がまちをつないでいます。